【働く天使ママインタビュー】#5 藤代みほさん

様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。


《#5 藤代みほさん》


【プロフィール】

藤代みほさん(40代)

・お仕事:建設資材メーカー 会社員
・雇用形態:正社員/一般職
・お仕事の内容:営業事務
・ご経験:新生児死、双子の一人を子宮内胎児死亡。現在は1児の母。
・Instagramアカウント:miho_iyashibito_aroma
・ウェブサイト:https://tsukinote2020.amebaownd.com/



1.あなたのお仕事について教えてください。


2021年10月15日まで正社員として、メーカーの営業所で営業事務をしていました。仕事内容は受発注・見積もり・プレゼン資料作成などの営業補佐・電話応対などです。
現在は、18年間勤めた上記の会社を退職し、自宅にて漢方アロマとグリーフケアサロンを開業、セラピストをしております。



2.あなたのご経験について差し支えない範囲で教えてください。


①2016年6月に長男を生後10日で亡くしました(新生児死)。

妊娠32週の健診で羊水過多を指摘され大学病院へ転院。転院後の初健診で胎児心拍に異常が見つかり、「臍帯過捻転」が原因とのことでMFICUへ緊急入院。その日の夜中、心拍確認できず緊急帝王切開にて出産しました。生まれた時は仮死状態でしたが、その後蘇生しNICUにて治療を受けるも生後10日で短すぎる一生を終えました。その後の染色体検査で21トリソミーだったことがわかりました。


②翌年2017年、体外受精後双子を妊娠しましたが、そのうちの一人を子宮内胎児死亡により亡くしました。



当時の日記より

ー生後5日めー
「看護師さんが昨日の夜取った足形をかわいくデコ&ラミネートしてくれていました。すごくかわいい♡左足を夫、右足を私が取りました。足のサイズはなんと6㎝…ちっちゃーい!ちっちゃいけどからだのわりには立派なあんよです。ママが作った靴が履けるのはいつなんだろうね?」




3.ご経験後、仕事はどの程度お休みしましたか。


①長男の時は、通常の産後休暇取得(8週間)後復帰しました。

妊娠中の体調不良で休んでいた時に緊急入院となりそのまま出産、産前休暇に入りました。出産から2日後、自分で上司に電話して伝えました。上司は男性でしたが、不妊治療のことなどは伝えていて応援してくれていました。
手続き等は人事部の親しい知り合い(流産経験者)に 連絡をしたところ、「手続きはこちらでやっておく、部署・同僚にどの程度まで伝えるか教えて欲しい」と言ってくれ、自分で色々やらずにすみました。
8週間の産後休暇後、会社から復帰タイミングをどうするかなど聞かれることは特にありませんでした。私も8週間が終われば戻るものだと思っていました。


②双子の時はそのまま一人を妊娠継続、出産したので1年間育児休暇を取得後復帰しました。



  

4.お休みの間、どのように過ごされていたか教えてください。


亡くなった直後は、あまり人に会いたくなくて家にずっといました。出かけるとしても近くの本屋さんくらい。スーパーや公園・カフェなどはお子さん連れの親子を見たり、ベビーカーを見るだけでも泣けてしまうのでしばらくの間は行けませんでした。TVも紙おむつのCMも見たくなくてほぼつけていませんでした。
子どもの死に関する本や体内記憶の本や絵本を読んだり、ちょうどその頃TVドラマで「コウノドリ」を放映していて、妊娠中はよく見ていたので漫画を借りてきて、泣きながら読んでいました。(夫には辛くなるからやめたらと言われましたが、同じ悲しみを味わっている人がいると思うことで心を保とうとしていたのかもしれません。)
またこのころのに読んだブログなどからグリーフの段階説などを知り、自分のいる場所などを知れたことは良かったです。

初めのうちは何もする気力がない状態でしたが、1ヶ月ほどすると何かしらしていないと不安も感じるようになりました。長男との思い出を残したくて、不妊治療中からずっと書いていたブログに長男が生きた日々をメモを頼りに投稿したり、アルバムを作ったり、足型のキーホルダーや遺骨ネックレス、メモリアルベアを注文したり。

復帰前になるとようやく少し前を向けるようになり、前に進むための行動を始めました。たとえば、長男の死因や次の妊娠に問題がないかなど、聞きたかったことなどを確認するため出産した大学病院へ行ったり、今後のことを信頼している占い師の先生に見てもらったり(笑)、 実際に不妊治療を再開するためクリニックに通い始めたり。

まだ気持ちが不安定で心配なこともあったので、出産した大学病院で入院中に気にかけてくださった看護師さんが紹介してくれたこともあり、同じ病院の臨床心理士さんに気持ちを聞いてもらったりしたこともあります。…が、グリーフ・ペリネイタルロス専門の方ではなかったためこちらの意図が思うように伝わらず、またどこか自助グループのようなものがあれば紹介してほしいと相談しましたが、当時はまだここまでSNSやネットの情報も少なく手応えがなくて1回相談しただけでした。結局復帰後(約半年後)に自分で探した『天使の絆・名古屋〜東海地方の天使ママの会』のお話し会に参加しました。

逆に救われたのは、従姉妹の存在でした。助産師である従姉妹は、長男のことを普通に話せて聴いてくれるし、私の心も気にかけてくれていました。今でも長男の誕生日には手紙やメールをくれます。


兄弟の足形キーホルダーと長男の遺骨ネックレス




5.ご経験後、職場復帰する際に考えたこと、感じたことを教えてください。


お休み期間中、職場とやりとりは特にありませんでした。正直、復帰するのはまだ早いんじゃないかと自分では思っていました。が、社会と隔絶して生きていることにも不安を感じてはいて、仕事に没頭していれば気も紛れるかもしれない、という思いもありました。私の場合は結果的に後者の気持ちが強くなり、休みを延長したいという希望を伝えるほどではなかったので、とりあえず復帰してみてダメだったらその時考えよう、と思っていました。
復帰前に心配だったことは、この頃かなり頭がぼーっとしていたり、話が理解できないことがあり、ちゃんと仕事できるのだろうか?ということでした。(今思うとグリーフ状態の時に現れる症状なのですが、当時はそれもわからず怖かったです)また、32週まで仕事をしていたため社内も取引先の方も知っていたので、聞かれたらなんて説明したらいいんだろう、どんな顔をしていればいいんだろう…とあれこれ考えるのが嫌でした。
職場復帰前に、自分から職場へ連絡をとり、支店長や上司らと面談する時間を作って頂きました。面談では、社内の人たちにどのように伝えるか?を相談しました。当初は、私から一斉メールをして伝えるようにと言われましたが、それはさすがに断り、支店長から各部署の部長に伝え、 こういうことがあった、という簡単な内容だけ個々人へ伝えてもらうことになりました。
支店長も奥様が流産を経験されたこともあり気にかけていただけましたが、経験のない、特に男性の上司はわからないからそんなことが言えるのだろうなと感じました。面談はあっさりしていて、私のメンタルの状況などについては特に聞かれることはありませんでしたし、自分からも自身の状態や働き方について特に伝えることはありませんでした。



6.職場復帰後はどのように働いていましたか。


復帰前と全く変わらない環境で復帰しました。育休復帰の場合も原則元の部署に戻る決まりもあり、私も全く知らないところに戻るよりは、知っている人がいる方が心強いというのもあり、特に配置転換等の要望は出しませんでした。私も感情を顔や態度に出す方ではないし変に気を遣われるのも嫌だったので、職場では普通に過ごしていました。
直属の上司には「まだ気持ちが不安定で心療内科に通っているので、ご迷惑をかけることもあるかもしれません」と予防線を張っておきました。
また、それまで旧姓で通していましたが、復帰を機に現在の姓を名乗ることにしました。心機一転とまではいきませんが、少しは気が軽くなるような気がしたので。
亡くなった時点では、ほとんどの人には伝えてはいませんでしたが、唯一報告していたプライベートでも仲がよく、告別式にも駆けつけてくれた後輩が隣の席にいたのは心強かったです。



7.ご経験後、働き方やキャリアについて考え方が変わったこと、感じることを教えてください。


元々自分の本心を言えず、評価や他人の目を気にしたり、空気を乱すくらいなら自分が我慢すればと残業がイヤと言えなかったりと心身へのストレスを感じながら働いていて、独身時代は過労で抑うつ状態になり休職したこともあります。結婚後も状況は変わらず、不妊治療を続けながらの仕事と家事に翻弄されて、いつもヘトヘトに疲れていました。
そんな中ようやく授かった初めての命とわずか10日でお別れ。なぜ私だったんだろう。この子は私に何を伝えたかったのだろう。この子が私たちの元にきた意味はなんだったんだろう。とずっと自問自答を繰り返してきました。
この経験が誰かの役に立つなら…と考えて無理やり前を向こうと思ったこともありますが、自分自身がまだ癒されていない状態で人のために動くことがしんどくなってきました。


長男が亡くなって4ヶ月後、会社の記念事業でハワイ旅行へ行きました。とてもそんな気分にはなれないと思っていたのですが、長男と一緒に行くはずだった海を見に行こうと。ハワイにいるときは、誰も私が天使ママだということを知らないので、解放された気持ちでした。長男を亡くして以来初めて、誰の目も気にせず、心から笑うことができました。

雄大なハワイの自然の中にいるだけで癒されていきました。ハワイの夕日を見ているうちに「誰の人生でもなく、私の人生を生き切ろう。長男のために、長男の分までと必死に生きるよりも、私が私らしく人生を生きている方がきっと長男も喜ぶはず。私が長男ならそう思う。」という考えがふっと浮かんできました。「自分を大切にして、自分の人生を生き切ってね」という長男からのメッセージを受け取ったように感じたのです。その後、からだを整えるためにリトリートに行ったり(ここでも自分のことを大切にしようという大きな気づきがあった私のターニングポイントです)漢方やヨガ、アロマや薬膳など、自然の力を借りながら徐々にこころとからだが回復していき、次男を無事に出産することができました。


念願だった子育てに没頭し、次男の成長に幸せを感じながら過ごしているうちに育休復帰日が近づいてきて、復帰後の働き方についてこのまま復帰していいのだろうかと考え始めました。
長男からのメッセージを忘れることはできず、私が辛い時に救いとなった漢方やアロマを勉強して同じように苦しんでいる人をサポートすることが長男が来てくれた証になるのではと考えて、漢方アロマセラピーを学び、その後こころとからだ、両方のケアができるセラピストになりたいと思い、グリーフ専門士も取得しました。

昨年の12月から平日は会社員、週末セラピストとして活動していましたが、まだ次男も手がかかるため両立が難しく、体力的にも家族にも負担がかかっていました。人を癒す仕事なのに、自分が疲れていてはできない。主人と相談の上会社を退職し、今後はサロンのみでやっていこうと、先月退職したところです。

私の場合経験後すぐに退職をしたわけではありませんが、やはりあの経験がなければ退職を選択することはなかったと思いますし、あの経験が私の働き方、生き方に対する考え方を大きく変えたのは間違いないと思います。


とにかく、自分を無視して生きてきた私ですが、自分のこころとからだを大事にする生き方をしたい、という考え方に変わりました。自分さえ我慢すれば…だった私が、自分が満たされれば家族も周りの人も満たせる、というのを実感したので、同じように感じている女性、特に天使ママさんにそれを伝えていければ、と思っています。

この4年間を振り返ると、徐々に坂道を上ってきている感じです。最初の1年が一番底でした。次男が産まれて子育てが忙しいこともあり、徐々に坂道を上ってきています。記念日反応で落ちることもありますが、今は記念日反応だと理解しており対処もできているので、がくっと落ちることはなくなっています。アロマとグリーフケアで生きていくと決めてからは、この自分の経験が感謝に変わってきています。


長男のメモリアルベア




8.職場への連絡や相談の仕方(ご経験、お休みの仕方、体調、働き方などに関して)や連絡・相談後のやり取りについて、大変だったこと・ご自身で工夫したこと・改善してほしいことがあれば教えて下さい。


復帰した直後の報告が一番エネルギーを使いましたししんどかったです。自分で報告するのは無理だと思ったので上司にお願いすることにしました。復帰してしまえばあまり気にかけてももらえず、逆に腫れ物に触るようにされるよりはよかったかなと思いますが、自分からはなかなか心の不調を言い出しにくいので、復帰前に少し配慮をしてもらうようお願いすればよかったかもしれないと今となっては思います。
改善してほしいことは、会社全体としてのグリーフケアについての認知です。人事部にグリーフケアについて少しでも知っておいてもらい、部署の上司と連携してケアしてもらえる環境づくりが今後必要かなと思います。



9.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。


復帰当初は、顔で笑って心で泣いているということがよくあり、気を遣いすぎて疲れていました。他の育休復帰したばかりの方と男性社員の何気ないお子さんの会話にさえ、傷ついて落ち込んでいました。私も出産したのに産んだこともなかったことにされて認めてもらえない、というのが辛かったです。
給湯室で保育園の話を聞き、自分はなぜフルタイムで働いているのだろう?本当なら今頃は子育てしながら時短勤務のはずなのにと落ち込むこともありました。
経緯が伝わっていなかった人がいて、なんでいるの?と聞かれてしまうこともありました。一日が終わってお風呂でよく泣いていました。あの頃は、一歩進んで二歩下がる、というような状態でした。
救われたのは、隣の席の後輩(独身で告別式にも参列してくれた)には、たまに長男のことを話題にできることでした。LINEで息子さんのお話しをいつでも話してくださいね、と送ってくれたり、息子の話をしても、「そうなんだー」と気楽に返してくれたり。一緒に旅行に行った際に、息子の分もお土産を買ってくれたことも嬉しかったですね。
経験していないからどう声をかけていいかわからない、という人が職場ではほとんどではないでしょうか。私自身、経験する前はわかリませんでした。
どのような対応や声かけがありがたくて、逆に何が辛いかというのは、当事者でも人によって違うと思います。私の場合は、話題に触れられないことが辛く、もっと長男のことを話したい、認めて欲しいという気持ちがありましたが、触れてほしくない人もいると思います。必要なのは気のきいた言葉ではなくて、寄り添ってもらえているという気持ちだと自分自身が経験してわかりました。

職場ではありませんが、独身時代から仲良くしている友人グループに同じ頃出産した子がいたので、辛すぎて距離を取っていました。復帰前に彼女たちからお花が送られてきたのですが、「いつでも待っています」というメッセージカードが添えられていて、本当に嬉しかったのを憶えています。
別の先輩から子どもが好きそうな可愛いお線香ときれいな和蝋燭を送って頂いたこともあります。私もそうしたさりげない心遣いができる人間になりたい、と思いました。 




10.ご家族との関係について、ご経験時・お休み期間・職場復帰時・その後の働き方について考える際など、どのようなサポート・やり取りなどがありましたか?


主人とは何でもよく話してはいますが、当時は働き方についてはあまり相談しませんでした。ただ、今まで以上に家事のサポートやからだのことは気にしてくれていて助かっていました。
グリーフ症状の現れ方などに温度差があり、伝えても伝わらなかったり、理解してもらえていないなと思うこともたまにありましたが、第二子の不妊治療を再開するため長男の時に通っていたクリニックでグリーフケアに関する冊子を頂きました。そこで男女のグリーフの違いを知ることができたし、主人にも見せて理解をしてもらうことができたので、その冊子を頂けて良かったと思います。

兄弟の「おなかのフォトブック」




11.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします。


働く天使ママさん、これから職場復帰する働く天使ママさんは、さまざまな感情や思いの中で葛藤されていたり、また今後迷われることもあるかと思います。
前述の回答と重複するかもしれませんが、そんな時に大事にしていただきたいのは「自分のこころとからだに正直になること」です。その結果が、私の場合は会社員を卒業しセラピストとして生きることだったのですが、私自身そこに至るまでには本当にたくさんの葛藤がありました。
こころとからだを大事にした結果、会社員を続ける、働き方を変える、違う会社に変わる、働かない、が答の方もいらっしゃるかもしれません。人により答えはさまざまだと思います。
ただ、働く女性、特に天使ママさんは自分の気持ちを抑え、からだの声を無視してがんばってしまう方が多いんじゃないかな…と私は感じています。
そうしたくても現実問題として難しいという方もいらっしゃると思いますが、私も無理だ思っていました。でも、案外なんとかなるもんです^^
辛いときは「無理はしない、人に頼る、休みたい時は休む。」そこから始めてみてください。心を開いて話せる安心・安全な場を見つけたり、好きなことや趣味を持つことも、自分を大切にすることにつながると思います。
そして、「本当の自分はどうしたい?」と自分に問いかけながら、少しでもご自身のこころとからだに向き合う時間を大事にしてほしいなと思います。



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働く天使ママコミュニティ【イキヅク】 ペリネイタルロス(赤ちゃんとのお別れ) を経験した働く女性 =「働く天使ママ」のサポートを通じて 思いやりの心が息づく社会をめざします

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