【働く天使ママインタビュー】#4 愛さん

様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。


《#4 愛さん》


【プロフィール】

愛さん(40代/福岡県)

・お仕事:建設機械メーカー 会社員
・雇用形態:正社員
・お仕事の内容:事務職
・ご経験:3度の流産(9週・10週6日/部分胞状奇胎)、不妊治療・不育症
・Instagramアカウント:@ryutoai



1.あなたのご経験について差し支えない範囲で教えてください。


・25歳 2度の流産(9週)

・39歳 不育症(血液凝固異常)、両側卵管閉塞の不妊症、慢性子宮内膜炎

・42歳 流産(10週6日)⇒部分胞状奇胎


①2005年 25歳で2度の流産(9週)

25歳で結婚してすぐに妊娠しました。しかし、お腹の子はなかなか成長せず、当時(今から16年~17年前)の医師からは、手術するか自然に出てくるのを待つか、どちらかを選んでいいと言われました。手術でお腹から出すことに抵抗があったので、自然に出てくることを待ちました。
流産から5ヶ月後に妊娠するも、またお腹の子が成長せずに流産。さすがに2回続く人は周りにもおらず、なにが起きたのか、なぜなのか、「訳がわからない」状況でした。
2回も流産が続いたことに対して、おかしいという気持ち、悲しいという感情、なんで自分だけこんな風になってしまうのか、そんな感情が渦巻きました。
医師からは、「習慣性流産」かもしれない、3回目流産したら、不育症の検査をしてみたらという話でした。しかし、またあの経験をしないといけないのか?という恐怖もあり、一歩を踏み出せずにいました。そして、まだ子どもはしばらくいいやと思うようになり、30歳手前で離婚しました。


②39歳で不育症と診断後42歳で流産(10週)

5年後に同じパートナーと再婚しました。35歳になった時、真剣に子どもを持つことを考えましたが、最初の3年間は、私が大分県、夫が関東勤務で遠距離生活でした。2017年に私が福岡に戻ったのを機に、不妊治療を開始しました。
この時、会社の先輩から、不育症に関するエピソードを聞く機会がありました。その先輩は私よりも2歳上の男性なのですが、見た目はめちゃくちゃ”チャラ男”なんです。でもたまに真面目な話もする人でもあります。その方から「子どもを持つことは考えないの?」と聞かれました。実は先輩の奥さんが不育症で、流産2回、死産1回を経験され、色々調べて不育症の専門医にかかり、今は子ども2人を授かることができたというエピソードを教えていただきました。

普段はチャラい先輩が真剣にその話をされていて、私の心も突き動かされ、不育症の検査を受けてみようと決心しました。自分で調べてみると、不育症の検査はお金もかかることがわかりました。しかし、もうあの経験はしたくない、後悔するくらいならと不育症で有名な杉先生のクリニックで検査を受けることにしました。
結果は、不育症検査で陽性となり、バイアスピリンを処方してもらうことになりました。
そして、前回の妊娠から歳を重ねていたこともあり、地元の病院で念のため妊娠できるか検査も受けたところ、両側卵管閉塞ということがわかり(その後検査で通っていることを確認)、不妊治療を開始することにしました。不育症だけだと思っていたのでまさか妊娠できないのかと頭の中が真っ白になりました。

不妊治療を開始してからも、子宮内膜炎の治療や採卵が上手くいかなかったり、採卵できても受精卵が育たなかったりと、思うように進みませんでした。またコロナも重なったことで治療が中止になったりと何周期か逃すこともありました。

その後、41才の時に妊娠しました。不妊治療クリニックを卒業したものの、初めての産科健診直前でお腹の張りと出血があり、診察したところ、お腹の子の心臓が止まっていました。緊急手術となり、病理検査で部分胞状奇胎との診断を受けました。それまでのエコーでは順調と言われてきたので、流産するまで部分胞状奇胎は全くわかりませんでした。同じ初期流産でも、母子手帳をもらった後の流産はこれまで経験した初期流産とショックの度合いは違うと思いました。

後輩に描いてもらった夫婦の似顔絵(上)と”チャラ男”の先輩の似顔絵(下)




2.ご経験後、仕事はどの程度お休みしましたか。


①2005年 25歳で2度の流産(9週)

一度目の時は翌日午前のみ出社、祝日土日を挟んだので休暇は取得しませんでした。
二度目の時は3日ほど有給を取得しました。


②39歳で不育症と診断後42歳で流産(10週)

土日を挟んだので月曜のみ有給取得し、その後は2週間の在宅勤務をしました。



3.休暇を取得しなかった理由を教えてください。


25歳での2度の流産の時に休みを取らなかったのは、流産の事実を知らない人が多くいる中で長期休むことに後ろめたい気持ちがあったからです。
今振り返ると、もし「流産休暇」のようなものがあれば休んでいたと思います。この状況ではこれくらいの休み必要だというようなガイドラインがあれば良かったです。1週間でもいいから仕事から完全に離れてもよいという規定があってもよいと感じました。

3度目の流産時は、バイアスピリンを服用していました。流産が確定しても1週間ほど経たないと手術ができないと言われていましたが、手術の予定を待っている間に腹痛と出血があり緊急手術となりました。上司にも話さざるを得なくなり、コロナで在宅勤務でもあったので、電話で伝えました。
手術は1泊2日でした。金曜日に手術、土日挟んで月曜日の1日だけ仕事は休みました。本当に最低限の休暇です。そのため職場の方からは、月曜日だけ何かの用事で休んだのだと思われたくらいなのではと思います。週1日は必ず出社しなければできない仕事があり、続けて休むことは難しかったです。
手術後に在宅勤務を開始した火曜、水曜日は涙ばかり出ていました。やらなければいけない事があるのでPCには向かっていましたが、いろんな感情が渦巻いて仕事にならなかったです。そのため、仕事をしながら片手間でネットサーフィンしたり行政の窓口に電話したり…コロナで在宅勤務だったので人に合わなくて良いのは救いでした。
今回はかなり精神的なダメージが大きかったので、もしコロナでなく通常出社勤務の状況だったら出社はできていなかったと思います。本音を言うと2週間程度は休みたかったです。
会社から取得できる制度の説明等は特にありませんでした。上司は、今回の事を大変だとは思ったようで、「無理だったら休んでもいいよ」とは言ってくれました。しかし私の代わりはいないので、もし休むとしたら隣のチームの人に仕事をお願いしないといけない状況でした。上司に不妊治療のことも説明しており、休む頻度も高いので、業務マニュアルを作成したり、複数名の体制にするなどの対策をして欲しいとお願いはしていましたが、当時そうはなっていませんでした。そのため、1日だけの休みの取得が限界でした。



4.お休みの間、どのように過ごされていたか教えてください。


最初のうちは身体がきつく横になるだけで、しばらくしたら考え事ばかりしていました。しばらくするとネット検索魔になり、同じような診断や経験談を探してばかりいました。当時夫は関東にいたので、電話でのやりとりしかできませんでした。



5.ご経験後、職場復帰する際に考えたこと、感じたことを教えてください。


最初の流産の時はまだ色々わからないことも多く、精神的にも肉体的にもキツいのに、周りに同じ様な経験をした人も少なく、長期休暇を取る選択肢がありませんでした。
最近では休暇の仕組み等、以前よりは理解がされてきているが、急に仕事をお願いするのも難しく、やはりほとんど休暇は取らなかったので、妊娠12週未満の流産においても法的に休暇が取れる仕組みが必要だと感じました。初期流産といっても、12週近くなると以前の2回より、精神や肉体の負担は更に大きかったです。また、初回時は出血がかなり酷かったし、週数関係なく、状況は人それぞれ異なると思うので、必要だと感じる方が気兼ねなく休暇が取得できればと思います。

3人のエコー写真帳



6.職場復帰後はどのように働いていますか。


以前と同様の仕事内容、勤務形態で働いています。経験前後でパフォーマンスは変わりませんが、モチベ―ションが上がらなくなりました。淡々と仕事をこなしている感じです。感情面では、突然涙が出ることも、今までにないような、叫びたくなるような感情になることも。そんな時は叫んだこともありますが、これをしたとこで何も変わらないなと最近は冷静です。若い頃の方が、感情のまま悲しい時に悲しんでいました。



7.ご経験後、働き方やキャリアについての考えの変化があれば教えて下さい。


自分のことを優先に考えたいという気持ちが出てきました。元から仕事が一番だと考えていたわけではないですが、流産を経験したその時ばかりは仕事を抜きで自分の気持ちだけ考えたいと思いました。長い目で見たら生きていくためには働かないといけないし、治療にもお金がかかるから、仕事は続けます。今の会社では有給を年間15日は取得しないといけない決まりがあったりと取れる休暇日数は多いこともあり、不妊治療をしながらの両立は前の職場よりはきついけれど何とかやれています。
そして、最近は、自分の経験が誰かの役に立てばという気持ちも出てきました。私は人とは少し違う経験をしていると思うので、それを少しずつ周りに知ってもらう事で、どういう状況の時にどういう対応や支援が必要かという事を少しずつでも様々な人が知るきっかけになればとは思っています。
経験後に一番変わった価値観は、「命はお金で買えない」ということです。これまでは、結局何をするにもお金が一番大事、というような思いがあったり、精神論をナナメに見ているところもあったのですが、命より大切なものはないと思うようになりました。命の大切さというものを、以前は表面的にしか理解していなかったのだと身をもって知りました。



8.職場への連絡や相談の仕方、連絡・相談後のやり取りについて、大変だったこと・ご自身で工夫したこと・改善してほしいことがあれば教えて下さい。


私の場合、不妊治療をしていましたが上司はもちろん知識もなく、休みを頻繁に取るにもある程度の説明が必要だったので、嫌だったけど、治療内容については割りと詳しく話しました。
会社はダイバーシティの一環として、管理職に不妊治療の教育をするとかしたとか、実際のところ真相はわからないですが、そういう教育は積極的に行ってほしいです。
特に異性の上司に極めてプライベートな事を伝えるのはかなりのストレスです。スムーズに相談が行える様、簡単でもいいから不妊治療や不育症、様々な状況で子供を亡くされる方がいるという事を知っていてもらいたいです。



9.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。


親しい同僚には詳細を話していたので、皆さん積極的に声かけしてくれて、私の不在時にも色々助けてもらえて嬉しかったです。女性で割と仲良かった同僚からは、「やっておきましょうか、手伝えることがあれば言ってください」と言ってもらいました。他には、何を言っていいか分からない。何も言えない、と言う人も多いです。
一方、事情を知らない人には、なぜ頻繁に休暇を取るのか、緊急事態宣言中以外に在宅してるのか興味本位で詮索する人もいました(私の会社は緊急事態宣言中のみ在宅勤務だったので)。
社内チャットのTeamsのステータスに「通院で不在です」と書くと、冗談のつもりだとは思いますが、びっくりマーク等をつけてくる人がいます。そういう反応をされると休んで申し訳ないという気持ちになるので、流産後も気持ちが張りつめてしまい、休まずに頑張らないといけない、と思ってしまいました。

3人目の妊娠時の母子手帳とエコー写真



10.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします


私の場合、最初の流産経験は16年前で、世の中の状況も随分変わって参考になるかは分かりませんが、昔はネットもSNSもさほど普及していなくて、情報が知りたかったり、同じ経験をした方とお話したいと思っても難しい事が多かったです。しかし、今は情報も割りと入手できるし、何より自助グループを立ち上げるなど色々な活動をされている心強い方々がたくさんいらっしゃるので、もし職場復帰への不安があったり、実際に復帰して辛い経験をしても、1人じゃないよということはお伝えしたいです。

復帰に際し辛い経験をしないでいい様に色々動こうとしてくれている人もたくさんいますよと。私もそうありたいと思っています。
あと、仕事も大事なのは私も重々理解していますが、時間には限りがあるから、時間と自分を大切にする事も大事だとお伝えしたいです。私は最初は自然妊娠だったので、余裕かましてたら不妊症になったりとかありますから…。
また、これは行政に対してですが、流産し、胞状奇胎宣告されてモヤモヤしてる時に、行政から妊婦さんとその家族へのインフルエンザワクチン優先接種のお知らせが届きました…ありがたい事なんですが、何とも言えない気持ちになりました。母子手帳交付後の状況も多少は把握いただける仕組みに変更する事も必要だと感じました。

ご夫婦が大好きなキャラクターのグッズ。産まれてくる赤ちゃんに着せるのを楽しみにしていました

iKizuku

働く天使ママコミュニティ【イキヅク】 ペリネイタルロス(赤ちゃんとのお別れ) を経験した働く女性 =「働く天使ママ」のサポートを通じて 思いやりの心が息づく社会をめざします

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