【働く天使ママインタビュー】#12 ひかりちゃんママ

様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。

今回は、ひかりちゃんママさんのご経験をご紹介します。


《#12 ひかりちゃんママさん》

【プロフィール】

ひかりちゃんママ(東京都在住/40代)

・仕事:療育センター職員(保育士・社会福祉士)

・雇用形態:正社員

・経験:第二子を18週で人工死産


1.あなたのお仕事について教えてください。

 勤務時は入職17年目。発達障害(自閉症スペクトラムなど)や発達に偏りや遅れのある幼児期のお子さんが毎日通園し、身辺自立やコミュニケーションスキルなどを集団活動や個別療育を通して獲得するための療育センターでの勤務です。クラス担任の保育士として勤務していました。


2.あなたのご経験について差し支えない範囲で教えてください。

 第一子(娘)を不妊治療で授かり2019年に問題なく出産しました。その後、第二子を希望し不妊治療では高度不妊治療ができる病院に転院したりと不妊治療を1年以上かけて授かりました。

 出産予定の病院で13週目のエコー検査で異常の可能性があることがわかり、都内にある小児専門の総合病院の胎児診療科を紹介してもらい、15週目で診てもらいました。

 いくつかの疾患があることが判明し、染色体異常の可能性が高いこと、お腹の中で亡くなる可能性が高いこと、生まれてきても早い段階で亡くなるだろうと告げられました。

 お医者さんとも再度話し、疾患について聞いたり、羊水検査のことや、もし出産できた場合のこともいろいろ話をさせていただきました。夫とも相談し、最終的には16週目に自分で決断し18週目に中期中絶手術をしました。



3.ご経験されたときのお気持ちを教えて下さい。

①決断するまでの過程

 最初の出産予定の病院で疾患の可能性があることを聞いた時は不安な気持ちに支配されないように必死でした。インターネットで悪いことがヒットすれば落ち込み、週数が進んで異常がなくなる話もみつければ、夫にメールをしたりしていました。

 小児専門の総合病院では、はっきりと疾患名が5つ程告げられ、お腹の中で亡くなる可能性が高いこと、もし染色体異常でなくても生まれて長生きできないことを聞いて、「あ、これはもう生むことは難しいんだ。」という実感が湧いてきました。一方で、大切な命を自分の意志で絶ってしまうことは本当にそれでいいのだろうか。私はひどい親なんだろうかという気持ちもありました。死産の情報の方が多く、なかなか中期中絶した方の情報が入りにくく、また中絶した方もご本人の状況や胎児の病気などの状況も違うこと、結局は誰が悪いわけでもなく答えがあるわけではなく、自分で決めるしかないことなんだという思いになりました。

 私は、福祉職の仕事をしているので、大学の時には小児病院のボランティアもしたことがあり医療的ケアが必要なお子さんを全く知らないわけではありませんでした。知的な障害や肢体不自由のお子さんもご家族もそれぞれで幸せの形があることも知っていました。お腹を痛めて生んだ我が子が障がいがあってもかわいいと思えることもイメージがつきました。それでも、生まれてこれたとしても医療的ケアがなければ生きていくことが難しく、自分が病院に付きっ切りになって、娘に寂しい思いをさせることも想像がつき、おそらくそのうち娘は「寂しい」と親に気遣って言わなくなることも想像がついて、娘に負担をかけると思うとどうしても“生む”ということを選ぶことができませんでした。

 自分が、第一子がいなければ、もしかしたらまた決断は変わっていたかもしれないですし、それはわかりません。赤ちゃんの疾患がわかって、決断するまでの3週間は、たくさん考えて、たくさん泣いて、一方で、毎日の仕事も笑顔でこなし(当時はかなり忙しかった)、家に帰っては育児をしながら、また夜中に考えてという今振り返れば怒涛の3週間でした。


※羊水検査(染色体異常の確定検査)の話もお医者さんからされましたが、結果がでるまでに3週間かかることもあり、その間に胎動が感じられることも分かっており、曖昧な状況であれば羊水検査を受けたのですが、(親戚に医者と看護師さんがいることもあって)確定的なことも多かったので、母体に負担がかからない方がいいんじゃないかという親戚の勧めもあり、羊水検査はしないで、手術を決めました(もちろん、お医者さんにはいろいろ話を納得するまで聞いたうえで)。


②中絶手術をした時の思い

 5日間入院しました。中期中絶の手術内容はブログなどで見ていたため、なんとなく心づもりをしていました。出産経験もあるため、その予測がつきました。また、総合病院が中絶の無痛分娩もできるところだったため、無痛分娩を選びました。

 赤ちゃんの洋服はインターネットで注文したものを準備していましたが、産んだ後の自分の心境がどうなるかの想像がつきませんでした。

 最後にエコー検査を頼んでしてもらいました。お腹で動く赤ちゃんを見て涙が止まりませんでした。病院は死産や中絶する方のサポートがしっかりされている所で、個室に入院したのですが、第一子のことや、産んだ後にこんなことができますよ、などと看護師さんに声をかけていただきました。


<その中で、印象にのこっている看護師さんとの話>

看護師:「第一子ちゃんにはどう話しているの?きょうだいのケアについて相談できるから心理士に話してみる?」

私:「娘にはそもそも妊娠も伝えてなくて、知らないんです。まだ3歳だし今回のこと話しても分からないと思って。いつか、分かる年齢になったら話そうと思います。だから、赤ちゃんも自宅に持ち帰らずに火葬しようと思って。」

看護師:「そうなんですね。もし考えて必要になったら心理士さんに相談できるから、言ってください。赤ちゃんに関しても、どうしたいかは、産んでから決めてもいいんですよ。あまり決めないでその時の気持ちを大事にしたらいいと思います。」

⇒私が、産むまで分からないモヤモヤ不安な気持ちが、少しこれで楽になり、結局自宅に赤ちゃんを連れて帰ることができました。


<麻酔科の先生と出産前日の話>

医者:「痛いものは痛いから、我慢しなくていいんですよ。今日は夜眠れなかったら、痛み止めと眠れるお薬言ってくれれば処方できるからね。たぶん、産んだ後よりも今の方が気持ちも迷いもあったり辛いから。一生抱えていくことだと思うけど、今日が、眠れなかったら我慢しないこと。」

私:「自分で(中絶を)決めたことなんですけどね。号泣」

⇒前日の夜は眠れなくて、睡眠剤をもらえました。


 出産自体は赤ちゃんの大きさも体重100グラム、身長16センチほどの両手に乗るくらいの大きさで、力む前に出てきてくれました。どちらかというと、出産前の子宮口を広げたり、無痛麻酔を脊髄に入れることの方が、つらかったです。実際の出産に比べればすっごく楽なのですが、産むための前向きな処置ではないので、辛かったです。

 出産した時は、赤ちゃんが小さくて、「かわいい!!」と我が子を実感しました。赤ちゃんに自分が救われて、想像以上に穏やかな気持ちでした。写真も撮らないつもりでしたが、赤ちゃんを見た時には残しておきたいと思い写真と動画を撮りました。後で、辛くなって消したくなったら消せるからとも思いました。今は撮影しておいてよかったと思っています。

 やっぱり、大事な我が子と自宅に帰りたいと思えるようになり、自宅に赤ちゃんを連れて帰りました。棺に入れた赤ちゃんを娘が何て言うのかが心配でした。初めて赤ちゃんをみた娘の第一声が「わあ!かわいい!!あかちゃん!」と言って、受け入れてくれたことですべて救われました。「赤ちゃん、宝箱に入ってお空にいったの。」と後日言っていました。

 火葬をした時は、悲しくて悲しくて仕方がなく、夫の涙が止まらない姿も初めてみました。



4.ご経験後、精神的・身体的な影響はありましたか?

 産後3~4週間たって元気になってきた頃にふと、「死にたい」と一瞬思ったこともありました。でも、鬱のことなどちょっとした知識もあって、元気になったつもりでもまだつらいのは当然だな。と客観的に思う自分もいました。「娘残して、死んでどうするのよ。」とすぐに思って日常に戻りました。でも、その一度だけだと思います。このことは夫にも友人にも誰にも話したことはありません。

 職業柄グリーフケアの知識もあり、今回の件だけでなく家族を亡くした経験もあったため、気持ちを無理やりコントロールしようとか、押し込もうとせず悲しい時は悲しい気持ちを受け止めることも知っていたため、急にやってくる悲しさや落ち込みに驚いたり、もがくことはありませんでした。

 振り返ると、病院での看護師さんとお医者さんのケアがよかったこと、自分で赤ちゃんのために何をしたいかを出産してから決めることができたこと、娘が「かわいい!」と受け入れてくれたことがすごく救われたのだと思います。

 今でも、何かの拍子に想いが溢れてきて涙が止まらないこともあります。(同僚が、妊婦でドクターストップかかりそうな状況になった日の帰り道一人思い出して泣く)でも、我が子を中絶する悲しみ、どうにもならない辛さがあって当然ですし、時間が必要ですし、これからもこの悲しみは消えることはなく側にあるものだと思っています。



5.ご経験後、仕事はどの程度お休みされましたか?それはどのような制度でしたか?

 産休として6週間とりました。職場も私も最初は産休になることを知らず、私がどれくらい休めば自分が復帰できるのか分からずに調べていたら、産休をとれることをインターネットで知りました。このikizukuさんもその過程で知りました。職場も理解してくれて、労働基準法の義務であることも分かり休みをくれました。



6.お休みの間、どのように過ごされていたか教えてください。

 とにかく、1か月は普通の産後と一緒で疲れやすくしんどくて、ウツラウツラ眠くなる状況でした。10日程、実家に帰り、その後、娘を保育園に預けて寝たり起きて家事をしたりと無理せず過ごすようにしていました。

 4週目には、職場の福利厚生でスポーツジムを利用したり、映画を見に行ったり、こんなに長い休みは取れないと思って、5週目には沖縄旅行で海を眺めにいきました。

沖縄で癒された空



7.ペリネイタルロスが判明する以前に、妊娠の事実は職場に伝えていましたか?

 職場が身体を使う仕事で、山登りなども控えていたため、9週過ぎたところで園長と主任とクラスの同僚には報告していました。



8.職場へはご経験の事実、その後のプロセス、お休みの仕方、体調、働き方などに関してどのように連絡・相談しましたか?その連絡・相談のやり取りについて、また相談後のやりとりについて、大変だったこと・ご自身で工夫したこと・改善してほしいことがあれば教えて下さい。

 園長には、赤ちゃんの疾患が判明して、中絶することになる話をすると一緒に泣いてくれました。6週間(予定としては8週)休みを取ることも了承してくれました。職場が忙しいことも分かっていたこと、私が休みが長いと家にこもるのが向かないので6週の希望を最初から伝えていましたが、園長は体調次第と、お医者さんの判断次第ということで、8週のつもりでいてくれました。

 ただ、私が担当クラスを抜けることが決まった時に、残されたクラス職員へフォローする体制が全然決まらず、その職員も妊娠が発覚した最中で、私の入院が2週間後という急な対応をしなくてはならず、負担が申し訳なかったです。

 あと、長期休みをもらうので、私が休みに入るための引継ぎの段取りもかなりの仕事量があり、他の職員がフォローに入りやすい準備と、抜ける分の方向性もすべて整えて次の日から入院だったため、正直精神的にも体力的にもかなりしんどくて、よく流産しなかったなあ。と振り返っても思います。

 産休に入ることや、休職する職員の休みの権利も大切ですが、残される職員のフォロー体制を社会で整える制度か何かがあると、産休や休職に入る職員にも残る職員どちらにも負担が減ることにつながると思います。女性ばかりの職場なので、お互い様の感覚はありますが、やはり支える側も大変なので。



9.職場復帰する際に考えたこと、感じたことを教えてください。

 職場が十数人の小さな職場なので、復帰の一週間前くらいに同僚からメールが来て、復帰してすぐ無理しないように体制はフォローがある状況にしてくれる連絡をくれて気が楽になりました。すぐに動けるのか頭が回るのか心配だったため、復帰後も職員が仕事や行事の作業など負担にならないように分担してくれていました。



10.職場復帰後はどのように働いていますか。

 子どもが好きということは変わらないのと、発達障害の子達の療育の興味深さは変わらずにあります。そして、同僚が産休に入ったことで、自分が負担をかけていた分、自分が今仕事を忙しく働いています。

 今はやることが多くて、仕事に救われていることも多くあります。私の場合は、少し忙しいくらいのほうがおそらくちょうどよく、仕事に支えられています。でも、6週間休んで、家族の時間が作れたことで、娘が親離れするまでは正社員を辞めて一緒の時間を作ってもいいなとも思うようにもなりました。6週間休みをもらったおかげで、休むことの大切さも身に沁みました。



11.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。

 妊娠18週で、まだほんの一部の方しか知らなかったので、復帰後、知らない職員は私が何かの病気かと思って「大丈夫ですか?無理しないでください。」と声をかけてくれることは、気が楽でした。

 反対に知っている同期や園長は、誰もいない時に「無理しないでね。体調どう?」と言葉かけをしてくれて、気持ちが伝わりますし、それ以上のことは聞かれないので、それはありがたかったです。周囲に気を使わせちゃうことの方に気が揉むので。



12.ご家族(パートナー・ご両親・ごきょうだい等)との関係について、ご経験時・お休み期間・職場復帰時・その後の働き方について考える際など、どのように相談されましたか?どのようなサポート・やり取りなどがありましたか?

 主人は、中期中絶については私と同じ意見でした。主人がいつも帰宅が深夜になるので、入院中に、義理の母に北海道から来てもらいました。「なかなか来てもらう機会がなかったから、来てくれてよかったね。」という話になりましたが、保育園の送迎も、寝かしつけも、夕飯(はほぼ外食かお惣菜)も主人が済ませていて、家の掃除も義母が来るから私が掃除をし、布団を義母の分を準備してなど段取りをしていたので、心中複雑でした。

 もちろん、日中に洗濯や掃除をしてくれていたのですが、事前の準備や退院後にみんなでごはんを食べに行ったりと気を使ってしまい、疲れていたところに疲れたので。もっと、家族のことより自分が楽な方を選べばよかったと思います。

 涙が止まらない時は、たまたま主人が家にいれば話をしますが、ウンウン聞いているだけで、あまり精神的には頼りになりません。でも、必要な行動はお願いすればとってくれるので、うまく言葉に主人はできないだけで、実際に産んでいる女性と同じ立場にはなれないし、主人は心配してくれていることは思っていました。

 実母は75歳なのですが、肝心な時はやはり母が無条件に話を聞いてくれてありがたかったです。



13.今、振り返ってみて、こうしたのが良かった、こうすればよかった、当時のご自身に伝えたいことなどはありますか?

 赤ちゃんも、育児も、仕事も、その時できることをめいっぱいに一生懸命にやったと思います。



14.パートナーに伝えたいことはありますか?

 似たもの同士ですが、ありがとうと、ねぎらう気持ちはシンプルでいいので口にしてほしいです。優しいことはわかっているのです。



15.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします。

 産後はしっかり心も体も休めた方がいいです。私も、即復帰していたら動いてしまっていたと思いますが、心も体もズタボロだったと思います。産休は8週間という目安ですが、復帰できるまでは人それぞれで違うと思います。心が回復しなかったり、体も整わなかったり。けれど、自分が弱いとか自分のせいではないのです。それぞれに時間が必要ですし、その時間の使い方も復帰した方が楽な方もいれば、休みながらバランスをとることが必要な方もいます。専門家に相談した方が良い方もいます。

 それぞれのペースで、自分を大事にできたらいいと思います。  


iKizuku

働く天使ママコミュニティ【イキヅク】 ペリネイタルロス(赤ちゃんとのお別れ) を経験した働く女性 =「働く天使ママ」のサポートを通じて 思いやりの心が息づく社会をめざします

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