【働く天使ママインタビュー】#8 yuzu87momさん

様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。


今回は、yuzu87momさんの経験をご紹介します。


《#8 yuzu87momさん》

【プロフィール】

yuzu87momさん(30代)

・仕事:団体職員(社会福祉士)

・雇用形態:正規職員のフルタイム勤務

・経験:第1子を27週で死産 第3子を24週で死産


1.あなたのお仕事について教えてください。

 地域の方(主に高齢者)やボランティアの方等を対象とした研修や会議の企画・運営、個別相談対応、広報紙の作成などを行っていました。現在は総務・経理担当として勤務しています。


2.あなたのご経験について教えてください。

・第1子 2019.8.6 子宮内胎児死亡(原因不明)により死産(27週)29歳 

・第3子 2022.7.31 子宮内胎児死亡(臍帯過捻転)により死産(24週)32歳


 第1子の妊娠がわかったのは結婚式を終えた1ヶ月後でした。不妊治療の経験はなく、そろそろ妊活を考えようかと思っていたタイミングで、思っていた以上に早く授かることができ、嬉しく思っていました。経過は母子共に順調でした。何の異常も指摘されたことはありませんでしたが、初めての妊娠で、胎動の感覚がいまいちわかっていませんでした。妊娠7ヶ月を過ぎた頃から、なんとなく胎動が弱い子なのかな?と感じていましたが、27週の妊婦健診で死亡が確認されました。

 第3子の妊娠は第2子を無事に出産し、育休を取得して、職場に復帰する直前にわかりました。職場に復帰し、慌ただしい日々を過ごしていましたが、母子ともに異常を指摘されることもなく、順調にマタニティライフを送っていました。3人の我が子の中で1番元気がよく、しっかり胎動を感じていたため、きっと元気に生まれてきてくれると信じていました。

 ところが、第2子がコロナウイルスに感染。まだ1歳の子を隔離できるわけがなく、後日、夫婦ともに陽性に。幸いにも家族全員症状は軽く、数日で症状は落ち着きました。妊婦でコロナに感染したということで、県の福祉事務所とかかりつけの産婦人科から毎日、体調確認の電話をいただきました。もう体調も回復してきたし、胎動もしっかりあるし、外に出られる日を待ち遠しく感じていました。

 隔離期間もあと2日となった日。AM11:00頃に胎動を感じて以降、胎動を感じないような気がしました。同日14:00頃に産婦人科より電話があったため、胎動が少なくなっている気がする旨を伝えました。看護師さんから「お腹が張ると胎動を感じにくくなるので、張らないように気をつけてください。」と言われ、実際にお腹が張りやすいため、納得し、一安心していました。

 しかし、その後、待っても待っても胎動を感じることはありませんでした。朝一で産婦人科へ連絡し、事情を話すと、当日まで隔離期間でしたが、診察してもらえることになりました。夢であってほしいと願い続けましたが、心拍を確認することはできず、24週で死産となりました。 


 

3.ご経験されたときのお気持ちを教えて下さい。

 第1子の死亡を告げられたときは、放心状態といった感じで出産するまで涙も出ませんでした。総合母子周産期センターのある病院へ転院しての出産となったため、3日ほど自宅で過ごし、入院しました。促進剤を点滴し、通常のお産と同じ流れで出産しました。産後、娘がお腹の中で苦しい思いをしていたのではないかという気持ちから、顔を見るのが怖いように感じていました。

 しかし、実際に対面してみると、顔は私にそっくり、手足の形は夫に似ていて、とても愛おしく感じ、涙が止まりませんでした。死亡の原因は不明だったので、どうして無事に産んであげられなかったのか、自分を責めました。

 第3子のときは、最後の胎動がわかったため、病院に到着する前から涙が止まりませんでした。あんなに元気に動いていたのに、ドップラーで心音がとれず、エコーで確認しても、心拍がありませんでした。エコーで確認してもらったところ、死亡の原因は臍帯過捻転とのことでした。身体は標準の大きさで成長しており、身体の機能もしっかりと動いていた形跡があるため、昨日までは確実に生きていたと言われました。お産は何が起きてもおかしくないとは思っていましたが、こんなことがあるとは思ってもみませんでした。

 今回はかかりつけの産婦人科で翌日お産をすることになりました。3回のお産の中で1番時間が時間がかかり、メンタル的にも苦しい時間でした。

 産後、夫が到着し、対面となりました。夫に顔がそっくりで、手足の形は私に似た女の子でした。そして、娘のお腹に繋がった臍の緒が捻れ、きつく締まっている箇所を見せていただきました。お医者さんに臍帯過捻転の原因を尋ねたところ、胎動を止めることはできないため、防ぎようがないとのことでした。産後、夫が到着するまで臍の緒を切らず、見せていただいたことで、前回よりも少し時間がかからずに娘の死を受け入れることができたと思います。 

 

4.ご経験後、精神的・身体的な影響はありましたか?

 なかなか寝つけない日が増えました。妊婦さんや赤ちゃんの姿を見ること、妊娠・出産の報告が苦痛でした。一度は心療内科の受診を検討し予約までしたものの、結局は受診しませんでした。男性の先生であったので、仕事として共感はしてくれても、死産の悲しみは経験者でなければわかってもらえないのではないか?という気持ちがありました。受診した方がよかったかどうかは今もわかりません。 


5.ご経験後、仕事はどの程度お休みされましたか?それはどのような制度でしたか?

 第1子のときは、産後休業を8週間とり、すぐに復帰しました。死産であっても、産後休業がとれることは全く知りませんでしたが、総務担当の上司より連絡をもらいました。休みの間に上司が自宅に来てくれ、「産休が終わっても、休みたかったら休んでいいよ」と言われました。しかし、自分の中に休むという選択肢がなかったため、産休後すぐに復帰しました。

 復帰後、妊娠7ヶ月のお腹を見ていた人たちからは、「もう復帰されたんですね!?」と声をかけられることが多く、その度に平然を装って事情を話しましたが辛かったです。「ごめんなさい」と言われたり、自身は無事に出産できた話をされたりして心が疲れました。

 第3子のときは、産後休業を8週間とり、さらに2週間有給でお休みしました。当時は、第2子の就学先について検討しており、その入学先の結果がわかる時期だったので、追加で2週間の有給を取りました。第3子が第2子と向き合うための時間をくれたのかなと感じています。

 産休中に上司との面談があり、お休みの期間、復帰後の担当業務について話しました。私は産休中、復帰後のやりとりを想像すると耐えられず、もう仕事をやめる気満々でした。上司は 男性と女性と二人いるのですが、子育て経験のない男性上司は「休みたかったら休んでいいよ」と声をかけてくれました。

 しかし、子育て経験のある女性上司からは「どこかで戻ることを決めないと戻れなくなるよ」と言われました。当時、その言葉は厳しいと感じましたが、確かに自分で復帰時期を決めないと戻れなくなるかもしれないとも思いました。

 なるべく外部との接触の少ない業務への変更を提案してもらったこと、復帰してみて辛いと思ったら休めばいいと言ってもらえたことから、職場復帰することにしました。

 


6.お休みの間、どのように過ごされていたか教えてください。

 第1子のときも第3子のときも、死産や胎内記憶に関する本を読みました。天気が良い日にはできるだけ、毎朝散歩をしていました。食事は夫が在宅ワーカーなので毎食一緒に食べました。日中一 人だとご飯も作らなかったと思いますが、一緒に食べるため、休みの中でもご飯を作ることがルーティーンとなっていました。おそらく、自宅に一人でいたら、食べていない日も多々あったかもしれません。

 第3子のときは、産前産後サポートセンターでの産後ケアを受けました。死産届を提出した時に、お知らせを希望するか否かの回答欄がありました。おそらくそれに、希望すると答えたので、産後ケアの案内と産後ケアのクーポンが届きました。事前に電話して、自分も利用ができるのかを確認してから、利用できるということだったので 子連れの利用者がいない時間帯で予約しました。

 具体的には、産前産後サポートセンターというところに行き、助産師さんからおっぱいのマッサージをしてもらい、溜まっていた母乳を出していただきました。利用したのは死産後3ヶ月頃でしたが、マッサージ中に思いの外母乳がたくさんでていて驚きました。ちなみに母乳が溜まったままの状態だと癌細胞がつきやすくなるそうです。その方が第2子の時に母乳相談でお世話になった助産師さんだったことで気軽に相談することができました。メンタル面でもお話を聞いてくれました。

 死産をしたことに対して「あのときこうしていれば、これがいけなかったのではないか」という罪悪感がありました。その罪悪感を伝えたところ、「それはあなたのせいじゃない。子どもの命を決 めるのは親ではなく子ども自身。」そう言ってもらえたことで気持ちが楽になりました。

 また、grief care「いのちのまなび」として活動されている、産前産後サポーターさんとの出会いもありました。このサポーターさんは流産・死産 の経験者ではありませんが、看護学生に対し、天使ママへの関わり方等についてお話をされていま す。当事者ではなくても、その思いを代弁してくださる方がいるなんて思ってもみませんでしたが、大変嬉しいことだと思いました。私の娘たちの手形足形も題材に使っていただき、中には涙を流した学生さんもいたそうです。将来、学生さんたちが天使ママと関わる機会があるかはわかりませんが、もし、そのような機会があれば、寄り添っていただけると嬉しく思います。

 


7.ペリネイタルロスが判明する以前に、妊娠の事実は職場に伝えていましたか?

 第1子の時も第3子の時も伝えていました。少人数で女性が多い職場なので、妊娠中は気にかけてもらっていたと思います。


8.職場へはご経験の事実、お休みの仕方、体調、働き方などに関してどのように連絡・相談しましたか?

 第1子のときは入院前に一旦出勤し、直接報告しました。休みの期間については後日電話で連絡をもらいました。

 第3子のときは、すぐに入院することになったため、上司の個人携帯に連絡し、事情を伝え、職場にも上司より共有してもらうようお願いしまし た。 


9.職場復帰する際に考えたこと、感じたことを教えてください。

 2度目の死産後に復帰するときには、どんな顔で戻ればいいのかと不安でしたが、復帰した日の朝礼で、妊娠中に気にかけてくださったことへの感謝、妊娠中は本当に幸せな時間を過ごすことができたこと、まだ気持ちに波があるということを職場のみなさんにお伝えしました。勇気がいりましたが、自分の口から気持ちを伝えられてよかったと思います。  


10.職場復帰後はどのように働いていますか。

 現在は総務、経理に関する業務をしています。 第1子のときは復帰後も外部との関わりが多く、悪気はないと思いますが、お腹のことを訊かれ、複雑な気持ちになることもありましたが、今は外部との接触が少なくなったので、気持ちの波は小さくなった気がします。

 経験前は夜の会議にも出ることがありましたが、 担当が変わってからは出なくなりました。復帰にあたり時短もできると言われましたが、フルタイムでやってみてダメなら時短勤務にしようと思い復帰し、結果今はフルタイムで働けています。

 現在は地道に入力をしたり、確認をしたりする仕事が多いですが、その方が自分には合っているのかもしれないと思うようになりました。今は、新鮮な気持ちもあり、休みたいという気持ちはなくなりました。 


11.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。

 少人数の女性が多い職場なので、妊娠中にいろいろと気にかけてもらっていたことはありがたかったと思いますが、同世代と親世代の人が多く、 妊娠・出産の話題が絶えません。総務という仕事上、誰が産休に入ったかが分かってしまうため、つい目に入ってしまいます。お空に還った娘たちについては、そっとされているという感じで、触れられることはありません。

 仕事上、ご年配の方と接することが多いのですが、中には自分も経験があると打ち明けてくださった方もいました。同じような経験をされた方や 産前産後サポートセンターの方達との会話の中で、娘たちとの時間が確かにあったことを認めてもらえたときは嬉しく思いました。 


12.ご家族との関係について、ご経験時・お休み期間・職場復帰時・その後の働き方について考える際など、どのようなサポート・やり取りなどがありましたか?

 第3子を死産後の産休中は仕事を辞めたくて仕方がなかったので、夫に相談したところ、「辞めてもいいよ」と言ってくれたので安心しました。しかし、「辞めて、次に何かしたいことがあるの?」と訊かれときに、すぐに答えが見つからなかったため、急いで辞める必要はないかもしれないと考え直すことができました。戻ることは想像できませんでしたが、今は戻ってよかったと思っています。


13.今、振り返ってみて、こうしたのが良かった、こうすればよかった、当時のご自身に伝えたいことなどはありますか?

 第1子と第3子とは出産した病院が違い、赤ちゃんへの対応も異なりました。

 第1子は、大きな周産期センターで出産しました。エンジェルセットという産着、帽子、お布 団、棺セットがあり、ふわふわのお布団に寝かせ、納棺してもらいました。事前に赤ちゃんにできることも説明いただき、手形足形を残したり、家族写真を撮影したりと思い出を残すことができました。

 第3子は小さな産院で、エンジェルセットのようなものはありませんでした。しかし、第1子の経験から、手形足形は残しておこうと思い、自分で手形足形を残しました。また、お布団までは用意できませんでしたが、生花を用意して、棺をお花でいっぱいにして見送りました。

地上の子にも会わせればよかったなと思いましたが、コロナ禍もあり、難しかったです。

この経験を通じて、私は自分で気持ちを溜め込みやすいことに気がつきました。今、思い返すと、もっと気持ちを吐き出す場を作ってもよかったのではないかなと思います。 

 

14.パートナーに伝えたいことはありますか?

 夫もあまり自分の気持ちを言う人ではありませ ん。しかし、前よりは、お互いに思うことを話す時間が増えてきていると感じます。12の回答と重複しますが、夫の「辞めてもいいよ」「辞めて、次に何かしたいことあるの?」と言う言葉が きっかけで職場復帰しようと思ったので、その言葉には感謝しています。 


15.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします。

 お休みしたいときは無理せず、お休みしていいと思います。まずは身体を大事にされてください。


16.その他、このインタビューを通して伝えたいことなどがあればお願いします。

 私は2度の死産を経験しましたが、2回とも妊娠中に異常を指摘されることはなく、子宮内胎児死亡により突然の別れをすることになりました。念の為に不育症検査も受けましたが、何の異常も見つかりませんでした。元気に生まれるって当たり前のことじゃないんですね。私は自分が経験するまで、産声のない出産があることすら知りませんでした。

 2人の娘がお空に還ったことは悲しくて、辛くて、悔しくて、人生を変えるほどの出来事だったと思います。それでも、娘たちがお腹にいた7ヶ月は本当に幸せな時間で、確かに存在した時間でした。そして、1人目の娘は地上の息子を連れてきてくれ、2人目の娘は地上の息子が甘えるための時間をつくってくれたのだと思っています。そう思うと、私のお腹を選んで来てくれた娘たちへ感謝の気持ちでいっぱいです。

 長くなりましたが、今後、天使ママが天使たちと過ごした幸せな時間を語り合える場が増えてい くことを祈っています。 


iKizuku

働く天使ママコミュニティ【イキヅク】 ペリネイタルロス(赤ちゃんとのお別れ) を経験した働く女性 =「働く天使ママ」のサポートを通じて 思いやりの心が息づく社会をめざします

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